書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

五感と満足感〜The senses & Satisfaction〜


『あなたは何をしている時、深い満足感を得ることができますか。そしてその満足感はどのぐらい持続しますか』


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「健康な身体」とは。

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「満ち足りる」とは。

時間の経過と共に私の「満足感」へのとてつもない変化…。
今日もまた、私の旧跡を辿りながら心の移り変わりの旅に出よう。 

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私の選んだ家族。
上には両親という絶対的評価者が、そして横には「ライバル」として三人の兄弟がエントリーされていた。
小さな頃から私たち兄弟は比較対象としてさらされ、両親そして周囲の評価を感じ、その評価に一喜一憂するようになっていた…。

「お兄さんかっこいいね」
「妹さんかわいいね」
「弟さんかわいいね」

こんな一言を隣で聞いた瞬間、私の心には小さな感情が静かに揺れ動いていた。
比較の一言を聞く度に、心の裏側では「私も褒めてよ!」という本心が大きく私を揺さぶっていた。
この揺さぶりを抑えつけるように、「どうせ私は…」と心で唱えるようになった。
これが私自身をいじめ、攻撃するようになった最初の流れ。

過去の私の世界とは、一人が肯定される同時にその他の人は全員、否定という感情を味わうことになる歪んだシステムで成り立っていた。

そんな中、私がこの三人のライバルに勝つことができた唯一のことは学校の成績だった。
小学生の頃、努力すれば比較的すぐに成績は反映した。
クラスで一位を取ると、クラス全員の前で褒められ、賞賛された。
これが初めて覚えた「満足感」だった。
クラスで一番になることは、兄弟の中で一番になった気がした。
クラスで一番になることで、もしかしたら親からの一番をもらえるかもしれないという期待もあった。
しかし、勉強に大して興味のない両親は私が期待した程、褒めてもくれなかった。
それでも自分にできることはこれだけだった。
私は親からの賞賛を得られるかもしれないという原動力で勉強し、そしてこの満足感は瞬く間に消え、そして勉強する日々。

幼稚園ぐらいから、上の目も、そして横の目を意識しキョロキョロするような子供だった。

そして上に君臨する親たちはというと、外の人間を意識しお互いを牽制している様子だった。
お母さんたちはまるで自分の価値を証明するかのように、きらびやかな服をまとい、そして子供は自分の所有物のように、まるでブランド物のバッグを自慢するかのような表面的でくだらなく、つまらない会話。
彼女たちもまた比較の世界に生きていたのだ。

こんな大人に従い続けていた私は「上から評価されない私は生きるに値しない」という価値観を持ち、時間と共にその価値観を固めていった。
その流れていく時間の中、対象を親から先生、友達、彼氏、職場の上司…とにかく自分以外の身近な人へコロコロと移していった。
そしてそのバラバラな評価に一喜一憂してきた私。
そして「いい大学」「いい会社」に入るということがひとつの大きな集団的価値観。
この価値観を私もいつの間にか忠実に信じ込むようになっていた。
大学卒業から、私は中国で働くという選択はこの価値観からは大きく外れ、どこかで自分で自分を激しく批判していた。
そのうちこのやり場のない孤独感をどうにかしたくて、仕事に没頭し、タバコに手を出し、お酒を飲み、自分の価値のなさを外側のもので懸命に埋めてきた。

特にタバコは私の身体を蝕んだ。
吸っている間はその擬似的満足に満たされたが、吸い終わった瞬間、より深い虚しさに突き落とされるようだった。
それをまた感じまいと更にタバコを握りしめる悪循環…。
こんなことを十年以上続けているうちに、身体がどんどんボロボロになっていることを感じ始めていた。
でもこんなボロボロの身体が、価値のない自分にはふさわしいと罰するようだった。
私はこんな生活をつい最近までずっと選び続けていた…。

これは根本的解決ではなく、一時的な快楽であり逃避だったことは分かっていた。
でも当時の強がりの弱すぎる私は、それ以外の方法をどうしても見つけることができず、ずっと手放せず手元に置き続けていた。

『この世界の中で、私が学んだこととは…』

「比較の世界」では、自分に偽りの仮面を被せ、時間という巧妙な手口で「自分には価値がない」「人の役に立ったり評価されないと価値がない」「人と違う私はダメな人間」と身体に刷り込ませた。

この望まない感情は成人するまでの20年間、根をどっしりと張り、その先にはネガティブな感情がどんどん芽を出し始めていた。

とても重く、そして苦しい。
とても悲しい…。
何をしても虚しい…。
自分が自分でない、身体と心を切り離されたような深い孤独感…。

目に見えぬ根っこと私の足にまとわりつく多くの芽に完全に身動きが取れずにいた。
そんな状態で社会に放り出され、私はたくさんの廻り道をしてきた。

じゃあ、私が本当に根を張っていきたい世界とは何だろうか…。
37年間生きてきた私が求める本当の満足感は一体何なのだろうか…。

私の手で、長年の悪しき根っこを掘り起こす時がやっと訪れた。

私たちには、ひとりひとりがそれぞれに「独自性」というプレゼントを用意されて生まれてきた。
「独自性」という絶対評価の世界。
「独自性」という私にだけ用意された素晴らしいファインダー。
私が生まれ育った環境、教育、家族、国や国籍、人間関係、性別、社会、民族。
そんな私の背景と体験から生まれた私だけの持つ独自の視点。
それを表現するために存在しているのだと。

それを探し出す初歩的な方法は「身体」というアンテナに隠されていた。

本当にお腹がすいたその感覚の時、必要なものを自分に問い、そして口に取り入れる瞬間。
必要だと感じた時にお風呂に入り、そして眠りにつく瞬間。
今、心から話したい人に、話したいことを伝える瞬間。
私が本当に得たい情報を、知りたい時に自らの手で取り出す瞬間。
私が見たいと思うものを感じ、身体を通して見る瞬間に 。
私が美しいと思ったものを生活に取り入れる瞬間。
私が必要ないと感じれば、それを取り除く瞬間。

それには、五感のセンサーに従い身体を動かしていく。
このひとつひとつの繰り返しが私の第一歩だった。

こんな一日一日過ごすうち、少しずつ私が大切にしていること、好みの色、好きなデザイン…小さいけれど感覚が甦ってくるようだった。
心で感覚で選んだものを見るたびに嬉しくなった。
そんなささいな変化と感覚はとても素晴らしく、私は何とも言えない満足感でいっぱいだった。

自分の心を中心に据え、最も響く選択肢が何かを尋ね行動するその連続。
そこでやっと得られた静かな満足感。

すると、
人がうらやむような職につくことでも、ひとがうらやむような豪邸に住むことでも、
人にちやほやされることでも、
人から凄いねと言われることは全く私には関係のない世界だった。
本当はそんなことじゃ全然なかった。

私は私の感覚で選びたい。
私は私の視点であらゆるものごとを決めたい。
私は私の感じるままに生きたい。
私が創造したい。
私が選びたい。
私が思う通りの人生をデザインしたいのだと。

気がつけば、今までの暗闇が息を潜め、生きる意味は何だろうという質問も私の心から消滅していた。

快楽や一時的な逃避という方法で食べものを摂取していた世界から、私の身体をよりすこやかに五感を研ぎ澄ますための食事に。
仕事のために仕事をしていた過去から、自分の独自性に気づくために書くことに時間を費やし、充足を感じる現在へ。
義理で付き合ってた過去から、私が心から興味を持って付き合いたい人と、自由な双方向の心のコミュニケーションへ。
自分に鞭を打つように課す運動ではなく、自分にとって心地よい範囲の運動へ。
将来の不安のために貯めていたお金を、私と大好きな人たちと楽しむためのお金に。
寝るためだけだった部屋を、私と大切な人が気持ちよく過ごすための住環境に。

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闇という環境に自分を放り込み、私は光に変換させる訓練をしてきた。
なぜなら、闇があれば、私がより光輝くことができるから。
そのために用意されていた真っ暗な暗闇に今ならば感謝できる。



もう一度、自分に宣言する。

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『新しい私は、絶対評価という世界に生き、五感を喜ばせ、自らに満足感を与え、心の底に存在した独自性というエンジンで自らの光を見出し、ただ毎日照らし続けています。』