書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

青〜Blue〜

今日は二週間ぶりに外に出かけ、日本食を食べてきました。
気づいたけど、私、引きこもり、嫌いじゃないらしい…。

すごいこのボリューム!!
やっぱりおいしい、日本食!!
ラブ!!!日本食!!!
旦那と二人で平らげました。

心を込めて作った食べ物には、本当にピカピカした見た目、ひとつひとつの食感、五感で愛情を感じますね。
ごちそうさまでした!!

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今日も道行く看板から色んなメッセージを拾いました。
今日、目に飛び込んで来たメッセージはまた特に印象的でした。

“Free way” “One way” “High way”

自由でひとつのより高い道。
今日も一日、力強く励ましてくれています。

よし、今日も手を動かしてみる。

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ブルーと言えば、「冷静沈着」「思慮深い」「聡明」「静寂」と言った言葉が思い浮かぶ。
感情の濁流に飲み込まれることなく、たゆまず奥にある真実を見つめる姿勢。
今日もひとつ、縛り付けていた感情を檻から出してやろう。

ふと、今日取り組みたいと思った言葉は『罪悪感』
また重いテーマ…。

でも、大丈夫!!
今日はおいしい食事で充分エネルギーを補ったし、できる!!できる!!できる!!
(おぉ、少しポジティブな自分が顔を出してる)

この言葉を定義を調べてみると「自身の行動・指向・在り方などに対し、罪がある、あるいは悪いことをした、していると感じる気持ち」とある。
そして自己否定のパターンに入るという仕組み。
完全にいい・悪いという世界で有効な言葉。
そして自分に悪いという烙印を押された瞬間、罪を拭うための行動に力を注ぐことになる…。
恐ろしいな、この世界…。

じゃあ、私は一体、いつからこの世界に足を踏み入れ、この感情を抱くことになったのだろうか…。

うわ…、やっぱりまた出てきた…。
私にまだ残っていた、社会常識や家庭や国の『ルール』という泥沼にはまってしまっていた自分が。

例えばこうだ。
親が暴力でものを言わせたとき、子供は彼らを絶対的存在と認識する。
すると、親の挙動・言動ひとつひとつをうかがうことに神経を使い、個が空っぽのまま生き続ける。
親が喜ぶであろう良い成績を取り、
親が喜ぶであろう親孝行をしたり、
親が喜ぶであろうお金を渡したり、
親や周囲が喜ぶであろういい娘を演じてみたり、
私は完全に親や他の誰かに自分の人生を預けるような、そんな心の奴隷と化していた。
そしてそれが人生目標として自動インプットされた設定されたままのようだった。
そんな不健全な人間関係が「みんなもそうしてるし、そんなものなのだ」と言い聞かせ、無理やり抑えつける自分。

親から逃れるように家を出てはみたが、心の片隅でもう一人の自分は罪悪感を自分に被せていた。
常識を価値基準にしていた私は自分で「親を置いて海外に出て勝手に自分の好き勝手して親不孝者!」と否定し、ずっとずっと責め続けていたのだった。

その気持ちを穴埋めするかのように、権力と呼ばれる会社や上司、常識などに私自身を預けてしまっていた。
それは徐々にエスカレートし、異常なまでの忠誠心に変わっていた。
こんな恐怖からくるこの行動は徐々に私の身体を破壊していった。

その結果
先生に褒められても。
仕事を頑張ってみても。
上司にいくら褒められ賞賛されても。
私の心には何も響いてこなかった。
私はまだ自分の心を偽っていることに気づいてなかったのだ。
しかしどこかでおかしいと思う本心は暴れ出し、「利用されている」という敵対心に姿を変え、批判し、その人に噛みつくような不健全な行動でその鬱憤を晴らしていた。
こんな私に人から感謝されるというわずかな喜びは私にとっては何の意味もなく、むしろ心では疎ましくさえ思っていた。

対象や常識や場所を変えても、私の根っこは相変わらず根無し草のままだった。
37年、いつまでも私の順番はいつまでも後回し…。

私の要求を満たしてくれる「白馬の王子様」も「救世主」もどこにも存在しないのだと。
旦那もその対象ではないことを。
私のニーズを100%聞き入れてくれる人なんてどこにも存在しない。
それだけはただ、分かっているのだ。
「ブルーの冷静な私」はただ、ずっと知っていたのだ。
そしてずっと私が変わるのを待ってくれていた。

『じゃあ、私は一体、この罪悪感をどうしたいの?』
『私を救えるひとは一体誰なの?』

罪悪感は『ルールを守らせようとした世界で支配者たちが植え付けた、コントロールの手段』『いい・悪いの世界に存在する単語』だった。

『私はもうこのアンバランスなパワーゲームの世界から完全に足を洗い、いい加減に抜け出したい!
そして、双方向の本当のコミュケーションの人間関係の世界にいたい!』
やっと出てきた私の本当のニーズ。

未熟な部分も今は発展途上なのだと許す心。
自分の人生を優先してもよいのだと許可してあげる心。
完璧でなくてもよい、みんな自分なりのその時のベストを選択しているのだと理解し許す心。
自分には好きなことをしてもよいのだと許可する心。
たとえ約束を破ったとしても、相手の状況も理解しようと努め、それも許すこと。
お互いを要求に応えられなかったとしても、相手の状況を理解しようと努め、それも許す心。
Noを伝えても、その理由を理解しようと努め、それも許す心。
たとえ今はできなかったとしても、温かく待つ慈しみの心。

こんな自由で制限のない世界に自分自身を連れていくことを許してあげたいのだ。
そうすると急に今までの私の別の側面が照らされてきた。

小さい頃の病気や暴力に闘いながらも、曲がることなく生き延びれてこれた自分。
偏見の目にさらされてもくじけなかった強い心。
成人してから経済的に頼らず頑張ってきた自分。
学費も支払い、自分の選択に責任も持って自分に責任も持って生きてきた自分。
何もないところから、新しい環境へ飛び込む勇敢な自分。
何もないところから、たくさんの人にスキルを伝えるという経験を積むことができた頼もしい自分。
それだけでも、本当によく頑張ってきたのだと、今日初めて自分に言えた。
紆余曲折ありながらも、生きてこれたこと。

本当に心から讃え、自分のまだなお生きているこの命に感謝したい。
こんなに頑張ってきた自分の命をすり減らすことではなく、自分のため、この命を大切に使っていく人生を選んでいきたい。

死んでからでは遅すぎるから…。

ここ最近、やたらとこの死という時間の限りがとても気になりだしている。
だから、一日も早く解放してやりたいのだ…。

今日もまたひとつ、私が私に選択権を預けた日だ。
私が私の身体を張って、私を守り、私の人生に取り組む。

私が私を救う「自由へ向かうための、誇り高きひとつの道」。
今日もらった道端のメッセージがもう一度心に響いてくる。

毎日書きながら、分からないのだが、勝手に涙がこぼれ、溢れ、喉の奥が熱く震える。
やっと本心を口にできると喜びのこの喉の感覚。
暗闇の中で手探りのように手を動かしながら、確かに感じるこのあたたかい心の温もり。
この温もりにもっと触れたくて、私は手を動かすことをもう止められないようだ。

手はずっと私に文字を通して語りかけ、呼びかけている。
書いて、書いて、書いて、生きて欲しいと。
もっともっと私に聞いて欲しかったこと、言いたかったこと、感じたこと、素晴らしい体験の数々を分かち合いたいのだと、語り合いたいのだと心を揺さぶりかけながら訴えてきてくれている。

今日も精一杯その気持ちを全身全霊で力の限り受け止める。
今日も素晴らしい一日をありがとう。
ありがとう。
ありがとう。
生きててくれてありがとう。


今日、私の手を使って私にプレゼントされたもう一枚のカード。

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このカードの意味は、時がくればきっと分かると思う。
サプライズとして、ここに残しておく。