書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

書いて、感じて、生きて〜Writing〜

『あなたにとっての人生の目的は何ですか。それは、どんなことを通して感じることができましたか』

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今日は気分を変えて、美しいグラデーションに包まれながらこの文章を仕上げていました。

今日のカード。

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本題に入る前にカードを引いた経緯を少々…。

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もともと今日はこちらのオラクルカードを使ってカードを切り続けてたのですが、反応がいまいち。
いまいちというのは、いつもはすぐに飛び出てくるのにこのカードは無反応…。
うーむ…これはどうやらこのカードではないらしい…。

ということでチェンジ。
改めてこちらの「人生の目的」というオラクルカードが本日の出番。

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こちらはカードは切り始めると待ってましたと言わんばかりに一気に飛び出してきました。
というわけで、これが今日の必然なるテーマ。

それにしても、カードを使えば使うほど、段々分かりやすく反応してくれます。
今日もありがとう、天使さん♡

さて、本題の『書くこと』

まずはブログをスタートさせるちょっと前の話から。

私の目にやたらと飛び込んでくるのは「作家」というキーワード。
facebook上で、今まで見たことのなかった作家プロジェクトのお知らせやら、しまいにはアメリカのサイトからも作家になろう!という出版のお知らせメールが来たり…。
最近、こんな風にメッセージやシグナルを送ってきてくれていることに気づきました。
また、仲間の口を借り「文章上手だね」という褒め言葉や、「ブログでも書こうよ!」という熱心な言葉。

こんな風にあの手この手で天使が私にアプローチしてくれています。
これが三月からブログを始めた経緯。

でも初めは戸惑った。
書くって一体何を?
書くということは、あまりにも日常に溶け込み過ぎてしまっていて、その近すぎる存在が何なのか全く見えていなかった。

そして抵抗感もあった。
不特定多数の人に見せることは言われのない攻撃をされるのではないか。
親が見たら身内の恥をさらすなと怒るのではないか。
ブログは暇なひとがやってることじゃない?
書いて何になるの?意味がない。

などなど。
こんな気持ちから、書くことには積極的になれずにいた。

しかし、皆既日食の今日こそ、古きを解放し、新しい自分を宣言しよう。

まずは昔の記憶の断片を思い起こしながら、私の本心をたぐりよせてみる。

母との会話の中で出てきたひとこと。
小学生の頃、私と妹が学校の帰り道に二人でことわざに関する四コママンガに夢中で、歩きながら毎日登下校してたこと。
家でもそのマンガに夢中で怒られ、さらにそれでも見たいからと、二人でこたつの中に隠れて読んでたこと。

作文を先生から褒められみんなの前でよく読んでもらったこと。
遠く離れた友達との文通。
お気に入りのレターセットで手紙を書くこと。
友達と交わす鍵付きの秘密の交換日記がとても楽しみだったこと(あぁ、すごい懐かしい!)
実家に置いてあった山のような手紙たち…。

中学の頃、大好きなアーティストに新曲が出るたびにファンレターを送り続けたこと。

高校の日本語の授業(朝鮮学校に通っていたので日本語という授業が設けられている)で、夏目漱石のこころを読み衝撃を受けたこと。
そして夢中で感想文を先生に提出したこと。
そこから日本文学を夢中で読んだこと。

中国・延吉に住んでた頃、授業で起こった日々の出来事を夢中でブログで綴っていたこと(あのブログの存在、忘れてた!)

大学生の頃、アルバイト代を惜しげもなく大好きな本を買うことに充てていたこと。
20代、心理学やスピリチュアルな本を夢中で読んでたこと。

中国に住んでいた30代、日本の書籍も少なく仕事に没頭していて、読むことからはしばらく離れていた。
でも仕事の中で、トレーニングの資料を自分でまとめて書きだすことは、時が経つのを忘れるほどの充実感だった。
自ら熟考し創り上げた資料を使った講義は、私を誰よりもパワフルで自信に満ち溢れていた。

あとは休職した2015年7月から何冊も書き綴ったノート。
これは今も続けている。

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さぁ、私が大切にしている本当のこころは…。

それは私が見て聞いて触れてインプットされた感動を、伝えるという方法でアウトプットするいう無限の循環だった。



これは…。




うわー、もしやこれは…。




あの…色んな本で出てきた…
例の…。



あの「わくわく」と関係あるのかも……?









ごく最近まで、本や講演会で耳にする「わくわく」というキーワードに強い希望を持ちながらも、その言葉をあたまでしか捉えることができずにいた。
この単語が発する周波数や感覚から遠く離れた外野に自分は存在しているようだった。

幼い頃から自分を我慢して遠慮して、いい子を演じてきた私に当然分かるはずのない感覚。

人の前に立ち、誇らしげに話している人たちの口から出てくるわくわくに、憧れとそして嫉妬心でぎゅっとなった。
「わくわくしながら生きる」「才能を見つけて好きなことをする」と楽しそうにそして屈託のない笑顔で話す姿。
そんな彼らはとても眩しすぎて、相手と自分の現状との格差だけが強調されるように感じられた。

本を読みながら、セミナーに参加しながら知った知識は頭では理解できる一方、そもそも好きや才能、わくわくの感覚が分からないという焦り。
色んな内容がどんどん展開し、心は何週遅れの授業に参加してるようなおちこぼれの気分だった。
彼らはきっともうきっとその世界に根を張り熱中して生きているようにも見えた。
だからその感覚が当たり前にまでなっているようだった。
そもそも自分にはその感覚が備わっていないのではないか?
心中穏やかではなかった。

所詮、本を書いたり・講演をしたりする「特別なあなたたちのもの」で、結局私には分けてはくれないものないんでしょ?じゃーあなたたちの世界の話を押し付けられても私にはその世界にいないから全くわからないし…と悲観キャラを出し、彼らを切り離してどうにか納得させていた。

でも…。
このわくわくという言葉が、彼らが見ているあのわくわくという風景がどうしても気になる。
知りたい…。

こんな彼らの見る風景を追いかけては諦めてた私なりのもがきを共有したい。

昨年の四月、結婚をきっかけに彼が突然オーストラリアでの仕事が決まり移住する準備を整えていた。
そんなことから彼は、結婚後すぐにオーストラリアに行ってしまった。
私はしばらく一人残され、中国で仕事をしながら色んな意味で離れる準備を整えていた。
そのうち体調不良もあり、七月からほぼ家に閉じこもった。
仕事をしない自由で多すぎる時間は私をそわそわさせた。
かといって平日に付き合ってくれるひともいなく逃げ場もない。
手持ち無沙汰の状態から考えついたのは、とりあえず国を変えるのだからモノの整理をしようということだった。
洋服から始まり、靴・食器・書籍・雑貨・ぬいぐるみ・カバン・友達からもらったプレゼントなど…クローゼットから出してみると足の踏み場がなかった。
ところ狭しと詰め込まれてたものは埃にまみれて息苦しそうだった。

これらを見て私が取った行動は、取り出してはまた元に戻すことを繰り返してた。
そこで気づいたことは、捨てることをいつまでも決断しない、見なかったフリ、後回しにする癖がついていたということだった。

その後、数ヶ月迷いながらも何十袋ものゴミを捨てた。
ひと段落した数日後、突然、膝など身体の節々が痛くなったり高熱を出したりと体調も崩した。
後で知ったが、これが断捨離からくる身体の浄化だったようだ。

同時にこころの浄化も進めていた。
テレビは一切消す生活を続け、なぜか突然思いついたのはノートにひたすら自分がされて嫌だったことを存分に書きなぐった。
そして、この嫌だったことはバツ印をつけ、じゃあどうして欲しかったのか、そして自分はどうありたいのかを右側に書き連ねた。
そう、このノートが全部私の感情を引き受けてくれたのだ。
書きながら涙が止まらなかった。
ときに感情が爆発して何を書いてるのか分からなくなり、紙がぐちゃぐちゃになるまで丸をひたすらなぞっていた。
書きながら色んな感情がこみ上げた。
むせび泣きながら書いて書いて書き続けた。
書き終わったあとはじっとその感情が収まるまで泣き続けたり、一人の部屋で怒鳴ったりしてた。

あぁ、七年の歳月の間にどうでもいいモノや感情や人間関係に囲まれていたんだなぁ…。
そして、好きでもないものを積み上げるだけ積み上げ、持つものだけ持ちながら、感情の湧かないものたち。
とにかく黙々と捨て続け別れを告げた。

後にこれが断捨離という言葉で表現されていることを知った。
人生初の断捨離だった。

その後、過去に住んでいた地に別れを告げるかのように、韓国で一ヶ月妹と過ごしながら絆と友情を再確認したり、日本に数ヶ月両親と時間を過ごしながら、過去の親への感情とも多少なりとも向き合えたと思う。
体力的にも精神的にもかなり疲れたが、私だけのために使った充実した時間だった。

その後、休職中の職場を十月に辞め、日本に滞在しセミナーに参加するなど、好きなことに集中する日々を過ごした。
そう、不要なものを取っ払ったあとは、自然に好きなものを吸い寄せていた。
また日本にいれるのもあとわずか、そんな気持ちも後押しした。

そしてオーストラリアに来たあともなお、わたしとの対話は続いている。
まだまだ色んな感情が隠されていると思うし、実際、その感情に飲み込まれそうにもなり激しく揺さぶられている。

そして今日この瞬間、やっと認識した「書く」という意味。

自分の喜怒哀楽の全てを自由に、好きなときに、好きなだけ、エネルギーを注ぐこと。
これが書くであり、感じるであり、生きるという無限の循環。

わたしの手で、全ての感情を、全身全霊で想いを映し出すこと。
私が私として繋がるための素晴らしい魔法だ。

とても心強く強力な味方、そして永遠のパートナー。
それは家族でもなく友達でもなくパートナーでもなくカウンセラーでもなかった。

私の手が握る、このペンとまっさらな紙。
これだった。

ペンを走らせたその瞬間、感情がスクリーンのようにくっきり映し出される。
その一瞬の感情がひとつひとつのエネルギーがわたしの命の一部であることに気づく。

これは私の無限の生命の泉だ…。

あぁ…ありがとう!
気づかせてくれてありがとう…!!

そしてこの私の手は、もう二度とわたしの手を離さないよと優しく言ってくれているようだ。
この近すぎて見えなかった存在。
なんだか、解き放たれた開放感…。

そしたら、わくわくという言葉もライフワークとか好きな仕事などという単語はどうでもよくなってきた。

今のわたしにとっては

感情を伝えるというアウトプットが、
書くというアウトプットが、
話すというアウトプットが、
セミナーを受けるというインプットが、
音楽を聴くというインプットが、
本を読むというインプットが、
歩き美しい風景を眺めるということが、
身体の五感を感じるとことが。

この行動ひとつひとつの振動と循環が、わたしの命への道。

ただただ、その自分を感情の動きを愛情深く見守りたい。

寄せてはひく波を追うように。
海のこころで抱きとめてやりたい。

そう、私は海であり、そして波だから。


それだけ。
だから私はペンを握る。
それだけ。



気が付けば風景はグラデーションからインディゴブルー変わっていた。

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美しい源。

誰かにむりやり着せられた、埃まみれの重く古い鎧を外したその先に、あの言葉が意味する世界が待ってるような気がする。


「未来の私」が手を広げて待っててくれているようだ。