書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

一年間ありがとう、これからもよろしく。

振り返って見ると、今日でちょうど365回目の投稿だ。

この1年間、ぽっかりと空いた空間の中で、知らぬ間に書くことを続けていた。
書き続けるうちに、私の心の中には「小さな私」が存在していることを確信できたことは本当にとても大きかった。

記憶喪失者のように会いたかった人の存在を忘れ続け、その人との感動の再会を果たしたような気持ちだ。
そして、今はこの存在こそが大親友とハッキリと言えるし、この存在と大いに語らう対話時間を過ごすうちに、私の心の中の悲しみや怒りが涙でどんどんと洗い流され、その度に、安堵感がやってくる。

小さな私に改めて伝えた。
『今まで私の命を守るために必死で頑張り続けてくれていてありがとう。
これからは私が、あなたを全力で守ります。
これからもよろしくね。』

昨日、撮影したお月様。
毎回、ここで見るお月様の美しさに息を呑むが、今回はまたとても美しく格別だった。

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【3/11】小さな私と今の私との対話記録

心穏やかな日々が続いている。
今日はどんなお話が待っていてくれるのだろうか。
そっと小さな私に尋ねてみると、以前にブログで書いたことのある内容がもう一度現れた。
あの暗く長かった道のりをもう一度辿ってみよう…。

★場面
『幼稚園の頃、今までの韓国名を日本名にして通わされた』

★感情レベル(悲しみ)…8

ー今日はなんでこの場面が思い浮かんだの。
あのね、何回も思い浮かぶのはね、本当にすごく嫌だったの。
死ぬほど嫌な数年間だったの…。
だからちゃんと過去にしたいの。

今まで家ではずっと「よんひ」って呼ばれていたのがね、ある日突然「まさき」って名前に変えさせられたの。
私はすごく驚いた。
よんひはどこに行ったの?ってすごく慌てた。
あとで分かったんだけどね、ここの幼稚園は日本人の子たちが通うからね、日本名にしたほうがいいって母親が勝手に決めたの。
それがすごーく嫌だったの!!

ーどんなことが嫌だったの?
今までの私を全部否定されたみたいですごく嫌だった。
今までの私はまるでいなかったことにされたみたいだった。
その時ね「よんひはもう存在しちゃいけない」ってとっさに思ったの…。
悲しかった。
あとはね、私に意見を聞かずにこのことを親の都合で決めたこともすごく嫌だった。
だからその名前で通う幼稚園が毎日すごく嫌だったんだよ。
本当に行きたくなくて、お腹痛いって嘘ついたこともあるんだよ。

ーそうだったんだね。そんなに嫌だったんだね。
うん、だから今もどこかで「まさき」って呼ばれるとすごくドキッとするの。
あそこでは「よんひ」を隠さなきゃいけない、「バレちゃいけない」って思いながら通ってたから。

ーそんな風に思ってたんだね。
うん、今までのよんひを隠さないと本当によんひはいなくなるって思った。
だから必死で隠した。
あとはね、今までは「オンマ」って呼ぶのが普通だったのに、急に外ではお母さんって呼べって言われて、私はなんか悪いことしてるのかなって思ったの。
あの時、私はどうしてもお母さんって言葉が言えなくて黙ってオンマのスカートを引っ張って合図したりしたの。

ーそういう風に思ってたんだね。全部これは大人の都合でそうしたことだから、よんひが悪いことは何一つないんだよ。
そうだよね。そう言って欲しかった。
よかった。よんひはよんひでいいんだよね?

ーうん、大丈夫だよ。
☺︎☺︎☺︎

ーそうか、じゃあは、結局はよんひの名前と自分を守ろうと必死だったんだね。
今は大丈夫だよ。ちゃんとよんひだからね…。
うん、本当に悲しかった。
誰も分かってくれないのも悲しくて、それをずっと一人で抱えてたからね、悲観的な私になっちゃったの。
本当は楽しみたいし、遊びたいし、ワクワクしたい。

ーじゃあ、本当はこの時、どうあればよかったと思ったかおねーちゃんに聞かせてくれる?
うん、ちゃんと納得できる理由を説明して欲しかった。
子供だからって軽んじて欲しくなかった。
ちゃんと一人の意見として聞き入れてほしかった。
私は親の付属品じゃない。
私にも小さくてもちゃんとひとつの人格がある。
そう扱ってほしかった。
それにあの時は名前を変えたくなんてなかった。
いじめられても私はこのままの名前で通いたかったんだよ。

ーそうだったんだね。強いね。
うん、大人が勝手に弱いと思い込んでるだけで、私たちは小さくても本当は強いし、何でもできるんだよ。

ーそうか、そうだったね。
うん。
でも、もうこれは昔のことだったからもう怖くないね。

ーうん、そうだよ。大丈夫。
おねーちゃんはなんでもお話できるから好きだよ。

ーうん、おねーちゃんも大好き。また聞かせてね。
うん!!!!!

★対話後の感情レベル…1

★気づき
以前にこの場面は出てきたことがあるが、前回ほど感情は高ぶることなく、客観的で冷静に過去として書くことができた。

前回振り返った時は暗闇の道を辿っていた感じがあったが、今回はとても明るかったように思う。
今回の出来事のように、小さなにとって大きなしこりが残っていたシーンは、小さな私が気の済むまで繰り返してあげることも必要だと分かった。
その理由は、ハッキリとこれは過ぎ去った過去であることを小さな私に繰り返し認識してもらうためでもあるようだ。
また、小さな私の中心となっている悲観的なキャラクターが創られた地点がこの幼稚園の頃だったこともハッキリと認識できた。

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【3/10】小さな私と今の私との対話記録

過去の出来事が本当の意味で過去になる時。
それは、何を言っても許される安全な環境を確保した上で、自分が今だと思うタイミングを選び、恐怖で一時停止になってしまったままの状態から、もう一度、自らの手で再生ボタンを押し、再体験をしてみる。
そこで溢れてきた怒りや悲しみの感情が涙の水となり、過去として洗い流されていくのかもしれない。

★場面
『韓国留学中のこと。私は日本で生まれた韓国人だったが、韓国では在日韓国人のことを知る人が少なく、ない存在のように扱われた。
また、ネイティブのように流暢に言語を話せないこと、日本で生まれたこと、朝鮮学校に通っていたなどの背景が違うとことでレッテルを張られ、否定的な目で見られた。同じ民族の人ということで期待を膨らませていた分、余計に悲しかった。』

★感情レベル(悲しみ)…10

ー何が悲しかったの?
私は日本でも、家庭でも受け入れてもらえない存在だと思ってた。
だからね、韓国でならもしかしたら認めてもらえて、受け入れてもらえるんじゃないかってとても期待してたの。
でもね、ここに住む人たちはね、ちょっとした違うところばっかり探すの。
少しでも違えば、すぐに否定する空気が蔓延している。
共通点を探そうとしないでね、違いばっかり探そうとするの。
言葉はしゃべれるけど、コミュニケーション方法も違うからなんだか居心地が悪かった。
なんだか冷たい感じがして、嫌だなって思ったの。
それにそんな人たちに合わせるのも疲れてた。

私は…ずっと日本では日本人じゃないと仲間外れな感じがしていた。
そして母国である韓国に行っても、「在日韓国人」という存在はまるでいなかったことにされていた。
私はそれがすごく悔しかったし心が痛かった。
私の存在はなんなんだろうと思い、自分もまた強く自分の存在を否定してしまっていた。
家庭だけでなく、国でさえも私の存在を否定するのかってとても悲しかったし、それは怒りになった。
私はその時、家庭にも国に絶望して死んでしまいそうだった。

ーそうだったんだね、辛かったね。
日本での家庭も居場所がなかったけど、韓国留学中はもっと孤独だった。
この状況を理解してくれる人がいなくてすごく寂しくて、受け入れてくれない環境にい続けるのは本当に嫌でたまらなかって。
耐えきれずに、怒りで腰痛まで体にでちゃった…。
そのぐらい怒りを溜め込んでいたの。

ーそこまで辛かったんだね。怒ってたんだね。
うん、もうどうやって日本に帰ったのかも忘れちゃった…。
留学もつかの間で帰国して「日本に戻った失敗した人間」って自分をすごく責めた。

ーそうだったんだね。大変だったね…。じゃあ聞きたいんだけどね、私は、韓国に留学することで、何を得たかったのかな?
居場所…かな。
両親と自分の家庭にはもう絶望していて、いつからか民族が自分の居場所になるんじゃないかって思うようになってたの。
両親は私のことは無関心でちっとも見てくれないから、韓国という「母国」は私を受け止めてくれるかと思ったんだと思う。
あの時はそんなことしか思いつかなかったから。

ーそうか、そうやって頑張って居場所を探し続けたんだね。
うん、でもそれも韓国に行ってからすぐにここじゃないって分かった時はすごく絶望した。
両親も、母国も違う。
じゃあ私は一体これから何を頼りに生きていけばいいんだろうって。
もう先が真っ暗だったんだよ。

ーそうだったんだ、先が真っ暗だったんだね。
希望がなくて生きることほどつらいことはなかった。
一体どこへ行けばいいんだろうって。

ーこの体験で何か得られたことはあった?
日本とか韓国とかね、ひとつの民族という環境は、ひとつだけの価値観に人が合わせて生きることを無意識に強いられて、私には居心地が悪いことがわかったの。
韓国に住んでみてね、日本よりももっと息が詰まる感じがした。
あの時、まだ日本は韓国よりましだったんだってことは分かった。
ただ、本当はどちらも私には居心地が悪かった。

ーそうだったんだね。
じゃあ、今は何が私自身の居場所だと思うの?
おねーちゃんだよ。
今のおねーちゃんがオンマ(お母さん)になってくれてね、この小さな私を認めてくれていたらそれがもう居場所になっているの。
いつも関心を持って見てくれて、声をかけてくれて、触ってくれて、聴いてくれて、そして行動してくれるとね、そのひとつひとつがすごく嬉しい。

ーそうか、自分が居場所って何だか心強いね。
うん、そしたらね、どこに住んでるかとか、誰といるとか、何をしてるかってのはどうでもよかったんだって思うんだよ。

ー本当にそうだね。
今日もね、私の大好きなホットケーキ焼いてくれて嬉しかったよ。
オレンジジュースもおいしかった。
今日もお外でたくさんお散歩してね、お日様に当たって気持ちよかったの。
ありがとう!!!

ーそうか。おいしかった?また作ってあげるね。お昼はちょっと失敗しちゃってごめんね。
大丈夫だよ。おねーちゃんが作ってくれたら、なんでもおいしいの。
おねーちゃん、ありがとう!

ー他に何か言っておきたいことはある?
もっともっとたくさん遊んでね。
あとね、今はおねーちゃんはお外でお日様にあたるのがとても大切だから、毎日、お外に行こうね。

ーうん、分かったよ。
(ニコニコ)

★対話後の感情レベル…3

★気づき
「私自身が居場所」
とても力強く心強い言葉が、じんわりと暖かく感じて嬉しかった。

20代の頃…あの頃の私は家庭に居場所を見出せず、周囲が就職活動でそわそわとしている中、その「みんなと同じ」という集団行動の波に乗れず、ひとり取り残された感じがしていた。
たまたま私は在日韓国人だったということもあり、日本での家庭から離れて、母国に居場所を見出そうと必死で、留学のチャンスを掴んだ。
あの時はそうでもしないと生きていけないと強く思っていた。
しかし、いざ期待を膨らませ訪れてみれば、理想と現実のギャップに叩きのめされ、家庭にも母国にも希望を見出せないことにとても絶望していた。

こんな紆余曲折や絶望をしながらも、私は今の今まで頑張って探し続けていたんだなぁと何だか自分に感動した。
なんて勇気があるんだろうと思った。

今は、「私自身が母親」という観点で、小さな私を育てるつもりで、掃除をしたり、洗濯をしたり、何が食べたい?などと丁寧に話しかけながら日常生活をひとつひとつ過ごしている。
そうすると、体と心がきちんと繋がって行動しているという実感がある。
そうやって育てていくうちに、今の私自身もまた救われてきていることを実感している。

韓国の留学で体験した苦い経験を通して、私が本当に欲しいものは何?ということを無意識に問いかけながら、行動していたのだと思う。

とても強い痛みだったので、またこれを書きながら回想していると涙が止まらない。
でもこの涙はきっと、癒されてきた証だと今はハッキリと分かるのだ。

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【3/9】小さな私と今の私との対話記録

今、このとても穏やかな自然に包まれながら、ひとつひとつの場面をじっくりと再体験できるこの時間が今は何よりも嬉しい。

場面
『スカイプでの複数人と対話中、突発的にマイクの大きな雑音を聞かされ(雑音を出した本人は気づいていない)、怒りがいきなり爆発した。』

感情レベル(怒り)…9

ーその時、どう感じたの?
すごく嫌な音なの。耐えられない。
でも出した人は全く気づいてないの。
それでね、それを平気で繰り返しているのを見てるうちに段々とイライラして腹が立ってきたの。
あとはね、それを聞いてる周りも気づいてるのに知らんぷりしてるのもすごくムカついてきたの。

ーそうか、腹が立ったんだね。
なんでこんなに鈍感なんだろうって思ったの。

ー鈍感だって思ったんだね。
そうなの。

ー体の感覚は何かあった?
胃のあたりがもやもやしてね、嫌な気持ちに覆われてもう何も集中できなくなるの。

ーそうなんだね。
そう、だからその時はね、我慢できなくて勇気を出して言ったの。
ちょっと喧嘩越しになっちゃったけど、ちゃんと言えたよ。

ー言えたんだ!すごいね!偉いね!
うん、ちょっとずつ練習するね。

ーじゃあなんでその場面でこんなに怒ってたんだろうね?
うん…。
あのね…。
昔ね、小学校の時から、おうちでやっと寝付こうとした時ね、下の階でお皿が割れたり、わめいたり、どなったりしてすごくドキドキしたの。
すごく怖かったのに、オンマもアボジも(韓国語でお母さんとお父さん)自分の感情を爆発させているし、私は我慢を強いられたんだよ。
あんまり怖くてやめてって言えなかった。
だからね、ずっと体を固まらせてお布団にくるまって寝てたの。
早く終われ終われって思いながら、体を固まらせながら眠りについたの。
だからね、日常生活で似たようなことがあるとね、また体をぎゅっと固まらせて、緊張しちゃった。
ずっとその緊張が限界になってきた状態で生きてたからね、すぐに怒っちゃうんだ。

ーずっとそうやって生きてたんだね。そういうことだったんだね。今まで本当に頑張ってきたんだね。
うん、そうなんだよ。

ーじゃあ、本当はどうしたかった?
うん、その緊張を早くね、ほぐしてほしかったの。
それに気づいて欲しくて怒ってたの。
安心できる場所で過ごしたかったのに、20年も我慢し続けて緊張し続けていたのを知ってほしかった。

ーじゃあ、それをほぐすにはどうしたらいい?
今はね結構よくなってきたんだよ。
だって、おねーちゃんが私に気づいてくれた。
だから今はすごく安心できる。
静かなおうち、清潔なおうち、おいしい手作りのご飯、きれいな部屋、自然がたくさんある場所で手を繋いで遊んでくれたり、一緒にお風呂にも入って丁寧に洗ってくれるし、おねーちゃんとあったかい布団で眠れる。
歯磨きもちゃんとしてくれるし、マッサージもしてくれるし、いつも抱きしめてくれるし、一緒にテレビも見てくれてる。

今はね、これだけですごくあったかくて守られててすごく嬉しいんだよ。

今が一番幸せ。
本当に嬉しい。

ーこんなにも長い間辛い思いをしたのに、こんなにも素直に育ってくれてありがとう。すごく優しいね。あんなに大変だったのに今まで生きててくれてありがとう。

それはね、おねーちゃんがいてくれるからだよ。
もうおねーちゃんが探してくれたから私は大丈夫。
おねーちゃん、大好き!!

ー私も愛してるよ。
私も愛してるよ。これからも一緒だね。

★対話後の感情レベル…3

★気づき
今まで実家では抑え込むしかなかった悲しみ、怒りの感情表現を、今はこの安全な空間で思う存分泣かせたり怒らせてあげている。
この作業の前提として、自分がここだと思う「安全な場所の確保」は必ず必要なのだなぁと思った。
具体的には、その空間の中に自分を否定する人がいないこと、何を言っても許されるという環境だ。
なぜなら否定されてばかりの不安定な環境では、自分を守ることに必死で、そんなことを考えるスペースが生まれることはないからだ。

カウンセリングもその手段のひとつとは思うが、信頼関係が不可欠。
私のようなインナーチャイルド(小さな私)を同時に抱えている人は、怯えやすく、同時に単純なので信頼と依存を取り違えやすい。
なのでカウンセラーだと言ってひとたび完全に依存しきってしまうと、また元のもくあみになってしまい、迷路に迷い込む。
カウンセラーとも長いお付き合いになるので、私はこれだと思う人をじっくりと時間をかけてコミュニケーションを取り探し当てた。

その安全な空間での感情の吐き出しが一通り終わるに連れ、今まで私の中にあった「何かが足りない」という感覚も洗い流されてた。
するとぽっかり空いた空間に、感謝という満ち足りたエネルギーがやってきた。

また、感情が高ぶった時にいつも出てくる喉の詰まった感じがまた出てきた。
でも、それはなんだか過去を洗い流そうと外に出たがっているのだと感じた。

小さな私は堰を切ったように私に色んなことを伝えたがっている。
もう一度自分の根っこを探し当てるためにも、はやる気持ちを抑えつつ、ひとつひとつじっくり聴いてあげようと思うのだ。

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風が届けてくれたメッセージ

どこからか、風に乗ってやってきたメッセージ。

もうそろそろ波に乗り、風に身を任せてしまいなさい。
頭で考えるのはそろそろやめて、感じなさい。
ただそうありなさい。
身体の緊張を解きリラックスしなさい。

ただ、そうあればいいのです。
ただ、あなたがそこにいるということだけで、とても素晴らしいことなのだから。

【3/8】小さな私と今の私との対話記録

静けさの中に包まれると、小さな私との対話が進むような気がする。
さぁ、今日の場面はどこにしようか。

場面
『小学校低学年の頃、よく遊んでた同級生が突然、私を無視しはじめた。』

ーどんな感じがしたの?
ずっと聞くのが怖かった。
でも本当は聞きたかった。
「なんでそういうことするの」ってちゃんと言いたかった。
でも勇気がなくて黙ってたの。
黙って我慢するのはすごく寂しかった。

ーそうだったんだね。
うん。
仲良くしてたのに急にわけがわからずに無視されるのはつらいよ。

ー本当はどうしたかった?
きちんと話して、理解したかった。
私に何か問題があるなら、教えてほしかった。
それに仲よかったから仲直りもしたかったよ。

ーそうだったんだね。
うん、無視された時はね、誰にも言えなくて苦しかったよ。

ーどんな感覚?
喉がね詰まる感じ。
キュッと詰まるの。
喉まで出かかった言葉を呑み込んで生きてたからずっと喉が詰まってる感じがするの。
苦しくて死んじゃいそうだった。

ーそうだったんだね。死んじゃいそうだったんだね。
うん、すごく苦しいの。

ー今も苦しい?
たまにね、言いたいことを言えない時に同じ喉の苦しい感じが出るの。
喉に何かが詰まってるような感じ。

ーそうだね、おねーちゃんも知ってるよ。
おねーちゃんも気づいてくれてたの?
そっか。嬉しい。

ーそんな時はどうしたらよくなると思う?
その喉の詰まった感じをよく見てあげるの。
触ってあげたりね。
そうしたらね、少しずつ治るよ。

ーそっか、教えてくれてありがとう。
うん。おねーちゃんのこと大好きだからなんでも教えてあげたいの。

ー他には何か言いたいことはある?
あのね。あとで分かったけれど、その子は私だけじゃなくて、色んな人を無視してね、結局みんなから無視されたの。
だからその子は自分のことが好きじゃなかったんだと思うよ。
昔の私みたいに否定されてきたんじゃないかなって思うよ。

あとね、私はいつでもおねーちゃんの味方だからね。
それにいつもいっしょにいること忘れないでね!

ーうん、忘れないよ。色々教えてくれてありがとう!
おねーちゃんも味方だよ!
うん、ありがとう!
おねーちゃん大好き!

ー私も大好きだよ。
(ニコニコ)

小さな私は、太陽の下での対話がとても大好きなようだ。

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【3/7】小さな私と今の私との対話記録

この安全な環境で、過去を過去として振り返れることを感謝します。

場面
『数年前、父親から突然電話がかかってきて、一方的に母親と別居するから家を出る、後はお前ら子供たちでどうにかしろと言われた』

ーどう感じたの?
このときね、分かったの。
父親はいつも母親ばかりの悪口ばかりを言って悪者にし続けて私たちは騙されてた。
母親がなんでこんなになるまでほっといたのかってことを考えれば、父親の方にも問題があるって思ったの。
そしてこの夫婦は揃って自分たちの問題を子供にジャッジしてもらおうとしたり、それぞれの正論を私たちに押し付ける。
しかも一方的に。
私は二人のことなんて状況が分からないし、分かりたくもないことだし、そもそも私の問題ではないよ。
それなのに、延々と母親の悪口を聞かされるのはもううんざり!
なぜ、40年近くこんな話を聞かされなきゃならないの?
なぜ、ずっと同じことばかりを繰り返しているんだろうって思ったの。
それでね、父親は切り札のように使う言葉があったの。
「お前ら子供だろう」
こう言って、私たちをいつもコントロールしようとした。
私はずっと口をつぐむしかなくて悔しかった。
そして、時間が経つと「おれがちゃんと面倒見るから」と手のひらを返したような言葉が飛んでくる。
私はこの支離滅裂なコミニュケーションがさっぱり分からなかった。
そして、夫婦の感情問題を子供に押し付けるこの「この男」を心底軽蔑していた。
そう、私の目にはもはや父親じゃなくて、「責任逃れをする男」だと思ったの。
もう利用されたくないし、怖いし、近づきたくない。

ーそうか、そうだったんだね。
うん、言ってることとやってることが全然違うからムカつくの。
この人嫌い。
そのくせ偉そうにする。

ー嫌いだったんだね。偉そうにするんだね。
そう、弱い人を捕まえて自分の存在を証明しようとしてる。
だからね、この人は本当は弱いんだよ。

ーそうかもしれないね。じゃあ、本当はどうしてほしかったのかな?
父親ってなんだろうって思ったの。
利用するとかって考えしかない父親を私は父親と思えない。
父親ってだけで偉そうしないでね、一個人として冷静に話して欲しかった。
あとは、別れるなりするのは勝手だけど、その夫婦の問題の後始末や責任を子供に押し付けてほしくなかった。
きちんと自分たちで向き合って解決してほしかった。
いくら家族だからって、自分の問題は自分しか解決できないんだから。

ーそうか、そうだよね。
そうだよ。
いつもそんな面倒なことを押し付けるためだけに電話してきてほしくない。
だから電話にももう出たくない。

ーそうだったんだね。
うん、この人は父親じゃないよ。
ただの子供だよ。
気に入らないと怒鳴るし。怖い。
嫌なことばっかり言うし、嫌い。

ーじゃあ、これからどうしたい?
この人は変わらないよ。
そして私も相手を変えられない。
変えられないことに時間を費やしたくないから、今は静かに自分の課題に向き合いたい。
自分の傷を癒すことに集中したいよ。

ーそうだね、それがいいね。
うん、私自身をもっと癒してあげたい。
それが周りを救うことにもなると思うから。

ーうん、そうしよう。きっとね、すごく優しくて話を聞いてたんだと思うから、もうそうしなくても拒否してもいいんだよ。
うん、そうする。ありがとう、おねーちゃん。

★気づいたこと
今までは自分の存在を消し続けていたので、自分以外の人を助けようと必死で、自分を犠牲にする生き方をしていて、それを父親をはじめ、周囲の人たちから利用されていたんだと目が覚めた。
そして私は父親の姿から「男性は無責任で大声を出して威圧しコントロールしようとする、そして女性や子供などを弱者扱いする自分勝手な存在」というフィルターを通して世界を見て心を固くしていたように思う。

また今は家族であろうが近しい友人であろうが、何かあった時に助けたい気持ちはやまやまだが、助けを求められたとしても、私は私以外の人の課題に手を出すことはできないことを知った。
最後に立ち上がるのは本人で、私はじっと見守ることしかできないんだと改めて思った。

私はやっと自分にも自分だけの軸があることを知り、ぶれない軸を立て始めていた。

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