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書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

【3/6】小さな私と今の私の対話記録

今日もまたある過去の情景をぼんやりと思い出してみた。

場面
『小学校の頃、好きな人にチョコレートをこっそり渡したら、男の同級生にからかわれた。』

ーその時、どう思ったの?
なんでそれがからかわれるのか分からなかった。
でも何にも言えなくて悔しくて泣いちゃったの。
そしたら、もっと面白がって私のことをからかったのが本当に嫌だった。

ーそうだったんだね、悔しかったね。
うん、そう悔しかった。
好きな人に好きと言うのがダメなんだってその時に思ったの。
だから、素直に言えなくなった。
だから男の子は大嫌いになった。
またからかわれたら嫌だったから避けるようになったんだよ。

ーそっか、傷つきたくなかったんだね。
そう、だからまた男の子が通りがかるとね、すごく緊張するの。

ーそうか、そうだったんだね。
うん、通りがかるとまた何か嫌なことされるんじゃないかって身構えちゃうの。

ー身構えちゃうんだね。
そう。怖くなっちゃうから、距離を取るようにしてるんだよ。

ーそういうことだったんだ。
そうだよ。私を守るためだよ。

ーそうだったんだね、聞かせてくれてありがとう。守ることでどうしたかったの?
自分の考えを尊重したかったの。
だってね、本当は自分の中で好きな人ができて、それを伝えることはね、すごく貴重で素晴らしいことだって分かっているから。

ーそこまでちゃんと分かってるんだね。
うん、ちゃんと心の中では知ってたんだよ。
その考えをね他の人の意見で曲げたくなかった。
クラス中がからかったんだけれど、それでも私がしたことは何も悪くないし、心ない言葉でかき消したくなかった。
だから、恋愛とか男女とか特別な関係に限らずね、人間として素晴らしいなってことは出会った人すべてには伝えたいって思ってるよ。

ーそれはいいことだね。私もそう思うよ。
うん!
小さな私はとても嬉しそうに笑顔になった。

私の中にずっと震えていた小さな私の存在を認識してからしばらく経つ。
彼女は私の想像を遥かに超えて、色んなことをよく分かっているし、なによりも私の味方になろうと一生懸命頑張ってくれていたことが感じるのだ。

そして、このとてもかわいらしい小さな私と対話すればするほど、私へある場所へ道案内してくれているようでもあった。

一体、私をどこに連れてってくれるのだろう。
そこにはきっと大きなサプライズが待ってる予感がする。

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【3/5】小さな私と今の私との対話記録

心の中に存在している「小さな私」に関心を示すために過去の場面を辿り、質問しながら忘れないように記録に残しておこうと思う。

場面
『幼稚園の頃、布団叩きで死ぬほど叩かれた』

ーなんでこの場面を出したの?
痛かったんだよ。
死ぬほど痛かったんだよ。
それでもね、私をなんで叩くのか分からなかったの。

ーそうか、痛かったんだね。
うん。
それにね、誰もね、助けてくれなかったの。
あの時ね、私は死んじゃったの。
もうこの家で生きていけないと思ったの。

ーそうだったんだね、つらかったね。
でもね、みんな何事もなかったように振舞ってなんだかこの家の子じゃなきゃよかったって思ったの。
本当に怖かった。
ずっとここには居場所がないと思って怯えて生きてたんだよ。

ー小さな時から今までずっとそう思ってたんだね。
だからね、またオンマが大きな声を出すとそれを思い出して怖くて震えてしまうの。
緊張するの。
すごく怖いの。
あの怒鳴り声を聞くだけで怖いの。

ーそうか、もう今は大丈夫だよ。おねーちゃんがついてるからね。
うん、今はねすごく元気になったよ。
おねーちゃんがいてくれたから。
私を見つけてくれたおねーちゃんが大好き。

ーおねーちゃんも大好きだよ。
最近はたくさん遊んでくれるし、優しくしてくれるし、とっても嬉しいよ。

ーそうだよね、お散歩が大好きなんだよね。
うん、今日も海に行ってすごく楽しかったよ。
お日様も大好きなの。
それとね、朝起きていつも愛してるよって言ってくれるだけで嬉しい。
丁寧にね、歯磨きしてくれるのも嬉しいよ。
おねーちゃんがニコニコ笑ってくれてるとね、すごく嬉しいよ。

ーうん、本当に大好きだからね。生まれてきてくれてありがとう。
おねーちゃん、ありがとうね。
私の存在を見つけてくれて本当にありがとう。

あのね…おねーちゃんともうちょっと一緒に遊んでもいい?
私ね、ずっとね、子供らしく生きられなかったからね…もう少し無邪気に遊ぶ時間が欲しいよ。

ーうん、もちろんだよ。
それにいつでもこれからはずっと一緒だからね。もう絶対に忘れたりしないからね。
(ニコニコ笑っている)

ー他には何がしたい?
うん、大きい声でね歌いたいし、たくさん踊りたい。

ーそうか、じゃそうしようね。
うん。身体動かすの大好きなんだよ。

ーそっか、他には何が好き?
えーっとね、手を繋いで歩きたい。
あとは、アイスクリーム食べたい。
髪の毛もかわいく結んで欲しい。
他にはねー、ボートに乗りたい。
ブランコも大好き。
自転車でぶらぶらおでかけもしたい。
ピクニックもしたいな。

ーそっか、分かったよ。全部一緒にやろうね。
うん、ありがとう。
嬉しい。

ー他には何をすると嬉しいの?
身体を触ってくれると嬉しい。
ハグしてくれるとね、なんかいてもいいんだって気持ちになって安心するの。
一緒に寝て欲しい。
たくさん甘えたいの。

ーそうだね、甘え足りなかったもんね。
うん、おねーちゃんには甘えられる。

ーずっと甘え足りなくて我慢してたから、怒ってたり、泣いてたんだよね。
うん!そうなの。
それをどう伝えたらいいのか分からなくてねそんな方法しかできなかったの。

ーそうだったよね。
おねーちゃんは何でも分かってくれて嬉しい。

ーおねーちゃんも嬉しいよ。
(ニコニコ)

ーそろそろ寝ようか?
うん、眠い…。

ーじゃあ一緒に寝ようね!
うん、抱っこしてね。

ーうん、分かったよ。
(寝息を立てている)

最近の小さな私は、前のようにすぐに引っ込んでしまうのとは打って変わって、進んで私を探しにきてくれるようになった。
まるで、今の私を心待ちにしてくれているような感じがして何だか心があったかい。

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古く固まり続けていたエネルギー

昔の父…確か小学校の時は優しかった記憶があったが、私が成人し家を出てからは、段々と父親からは辛く当たられたり、嫌われているような感じがしてきた。
年に一度帰れば、妹家族や外からの人ばかりを優先し、私の順番はいつまで経っても回って来なかった。
そんな扱いをされるたびに、私は取るに足らない存在のようで、悔しい想いで心は充満していた。

今、距離を置いて見ているうちに私と両親の関係で気がついたことがあった。

それは、私はまるで父親が上であることを証明するかのために存在している「下の存在」「劣った存在」「無能な存在」のようだった。
会うたびにいつもバカにされたり、怒鳴られたり、蔑まれるためにいるような感じがしていつも悔しかった。
中国で働くことを決めた私が年に一度帰れば、いつも中国とそこに住む私を見下すような言動をわざとして傷ついていた。
父は私がどんな仕事をしているかすら関心を寄せることは一度もなかった。

そして母親にとっての私は愚痴のゴミ箱のようだった。
夫婦の仲が悪くなるたびに、取り持ってもらおうというような発言ばかりして利用されてきた。

そんな両親と接しているととても息苦しかった。
取るに足らない価値のない存在のように感じてとても息苦しかった。

よく考えてみれば、私と両親の立場はまるで逆転しているようだった。
両親は名ばかりで中身は幼稚な子供。
そして、私は子供というのは名ばかりの大人の役割を押し付けられてきた…。

実家に帰ると、私の口から必ず飛び出すのは「別にいいよ」というこの言葉だった。
こう言わないと辛くてやってられなかったからだ。
食事も大人数で集まればお金がかかるからと、独身だった私は遠回しに来るなというそぶりをされた。
でも本心は、年に一度の食事さえもお金がもったいないと扱われるそんな邪魔な存在なのかと思ってとても悲しかった。
そんな痛みを感じたくなくて「別にいいよ。行かない」と先に断るようになっていったのだ。

20代の頃、親にお年玉を僅かしかあげられないことを心苦しく感じていた。
それでもそれなりに自分で稼いだお金は私にとって意味のあるものだったが、母親はあっさりとパチンコや買い物に使ったりと、まるでなんでもないゴミのように扱われたことが悔しかった。
書いた手紙もそこらへんにポンとゴミのように捨てられたこともとても悲しかった。

両親は、金銭的な利益をもたらさない人をまるでゴミのように扱った。
「小さな私」はその不当な扱いにいつも悲しみそして悔しく思い、それが怒りの爆発源だった。

そんな対応をする両親と接するたびに、私は何の価値もないような感じがした。
そんな場所は何だか居場所がないような感じがして、いたたまれず一週間も経たず海外へ戻った。

そんな実家の居心地はいい訳がなかった。
私にとっての実家とは、皮肉なことに「私には居場所がない」ということを再確認させられるかのような場所だった。

そして父親が私に電話してくる時というのは決まっていた。
母親の悪口のはけ口か、父親が家出し母親をもう見限ったからお前らでどうにかしろと脅迫し押し付ける時、お金のこと…家を私の名義で買えなどという自分の利益しか考えていない発言をするためだけだった。

こうやって私はいつも親から下に見られたり利用されるためだけに使われていた。
そんな両親は、私自身に対する関心は全くもってなかった。
いや、今も無関心だろう。

私はその事実と向き合うことが、一番心が痛くて悲しくて苦しかった。
そんな両親と接する度に、小さな私の自尊心は踏みにじられ、無視され、ずっと傷ついていた。

それでもけなげな「小さな私」は、ずっとこの両親だけを見て、どうにかして認めてもらおうと必死だった。
でもそんな打っても響かない存在に私の気持ちが分かるはずはなかった。
いつも心無い発言ばかりをして、それでも両親の言いなりになるたびに私はいつも小さな私を傷つけてしまっていた。

私は両親と会うたびに苦しくて仕方なかった。
なぜなら、自分には何の価値もないという無言のメッセージを受け取っていたからだろう。

その度に心は固く硬直し緊張で固くなってしまっていたエネルギーがこの身体に残り続けていた。

そして小さな私は私に向けて口を開いてくれた。

『もう私を傷つける人とは距離を置いて、もっと私が喜ぶことをしてほしいよ』

私の自尊心を傷つける人とはたとえ親だろうが距離を取ってもいい。
そうそっと自分に許可をした。

私はずっと自分という存在が見えずに、目の前にいた両親からの承認をもらおうと必死になり不毛な努力をし続けていた。

私は子供らしく無邪気に過ごしたことがなかったんだ。
それがずっと心残りで辛かったんだと思う。

私は心の中でこう許可した。
もうこの両親の子供、長女…いや、大人の役割をもう放棄してもいいよと言ってあげた。

そして今からは、やっと探し当てた小さな私というこの存在だけを見て、この子が心から喜ぶことをひとつひとつ丁寧に探し、私の喜びのためだけに時間をしっかりと費やしたい。

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忘れられた古傷

血を流し続け、それはやがて止まり、いずれかさぶたになって傷は剥がれ、そしていつしか消える。
その過程が癒しとも言えるのだろう。
それは心も全く同じで、そのひとつの痛みがなくなったかと思うと、その奥にまた潜んでいた、えぐれたままの古傷と出会うことになる。

この一年間、ブログで書いた内容は、主に母とのエピソードだった。
まずはとても分かりやすい傷の心の内を話し、書きながら癒えてきたような感じがある。

それがひと段落しつつある今、私は目を背けていたえぐれたままの古傷と対面することになった。
蓋をあけたくなかった傷との対面。

それは「父親」だった。

母との傷の奥にずっと隠れていたのは、父親像の理想と現実の格差に絶望していた心の傷だった。

「無関心」
「支配的」
「威圧的」
「怒りの爆発」
「尊重されない」

父親と接しているといつもこんな無言のメッセージを受け取っていたように思うのだ。

子供への関心は皆無で、何か言葉をかけられたのかは全く記憶にない。
勉強も頑張っても褒め言葉なんてかけてもらった記憶がない。
夫婦喧嘩をした時、子供を放り出して逃げ出すのはいつも父親だった。
母が苦しんでいるとき、父は母と向き合わずに何度も何度も逃げるか、無視した。
高校の頃、アルバイトで貯めたお金をたった一言で何の悪びれた様子もなく持っていった父親に失望した。
口を開ければ出てくる言葉は、自分だけが正しいような口調で人を見下してばかりだった。
気分屋で、ある時は母親をもう捨てると一方的に宣言し、お前らでどうにかしろと恫喝された。
かと思えば、俺しか母親を見れないからなと全くもって支離滅裂な言葉に不信感を持った。
金銭的な利用価値があれば、家族であろうが利用しようとする姿は見ていて情けなかった。
お金のことは徹底的に隠し、誰も信じてない姿は見てて悲しかった。
会えば陰で母親の悪口ばかりを聞かされ、本当にうんざりした。
話せばすぐに怒鳴り、小さな私はいつも緊張し怯えていた。
その緊張は極限に達し、小さな私は怒り狂っていたのだ。

だから…。
私はもうこの父親の娘をずっとやめたいと思っていた。
本心はずっとこの父親を捨てたいと思っていた。

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いないことにし続けていた存在からのメッセージ

心を観察し、光を当てているうちに私はあまりにも当たり前で、そして明らかな大前提を否定していたことに気がつき、そんな自分に驚いた。

それは、38年間、片時も離れず寄り添い続けてきたこの自分という存在を完全にもみ消すためにエネルギーを費やしていたということだった。

存在している者をまるでいないかのように扱う。
それは今の私にとっては最大の自分いじめだったということにずっと気がつかずにいた。

その「いじめ」はとても大きなエネルギーを必要とした。
だから私は全身全霊をかけて自分を消すための努力をし続けた。

仮にこの存在がないのだとすると、当然ながら私の中に常に生まれ続けている喜怒哀楽も感じてはならないという命令を下さなければならなかった。

そんな風に感じることを止めたまま生きることは、まるで私の中の心の空間に、その頃その場で感じたがっていた喜怒哀楽が我慢した分だけ所狭しとギュッと詰まったままで、それでもまだこれでもかとずっと詰め込み続け、それを無理やり閉め切り、鍵をかけた秘密の倉庫のようだった。

なので、それはちょっとした場面で心が振動すると、まるで雪崩のように怒りと涙が溢れ出し、それはしばらく止まらなくなった。
それをある時は見たくなくて、そのきっかけとなった人を悪者扱いしたりもした。
そうでもしないと心が辛くて、心が痛すぎて死んでしまいそうだったからだった。

それでも怒りと涙がひとたび過ぎると、なんだかとてもスッキリしたのは心に空間が出来たからだった。
でも、私はそのできた空間に、また我慢と怒りと涙をできる限り奥の奥へと詰め込み続けた。

そうやって私の心はいつしか常にオーバーフローの状態のまま生きる習慣が身についてしまっていた。

それでも私はそれを止められなかった。
なぜならそれが、小さな私にとっては生きるために必要なスキルだったからだ。

家を突然、追い出された時。
親になじられ、怒鳴られた時。
親に殴られた時。
親に身ぐるみはがされた時。
夫婦喧嘩が夜中まで続いた時。
親から脅迫の言葉を言われた時。
夫婦喧嘩の仲裁のために外に追い出され、親を探しに朝まで彷徨った時。
親から理不尽なことで怒鳴られた時。
友達から無視された時。

小さな私は、突発的に起こる危険な場所や状況や痛みを回避するため、自分の存在を消し、感情をなかったことにすることで、自分を守ろうと必死だった。

こんな風に自分の存在と感情を消し、我慢して隠し、相手に合わせるスキルを生活の中で身につけ、生き延びようとしていたと分かった。
なぜならば、あの頃の小さな私は本能で生き延びたかったからだと思う。

そして今その家庭から離れてもう二十年近く経つというのに、私のこの習慣は何も変わってなかった。
私は体にすっかり染み付いたそのスキルの存在すら忘れてしまい、無意識の習慣のように使い続けていたようだった。

家を出てしばらくすると、自分には何かが欠けている、何かが足りないと思うようになった。
親の穴埋めをする必要がなくなると、心がぽっかりと空いてしまい、何かをせずにはいられなくなっていた。
私はいつしか自分以外の誰かや何かの穴埋めを自ら探すようになっていった。

そんな不健全な発想から仕事にのめり込んだり、お酒、タバコ、買い物、恋愛など…手当たり次第何かで埋める必要があった。

「心がぽっかりと空いてしまう」
こんな経験をまるでしたことがなく、ずっと不安だったのだと思う。

それが依存症や共依存の心の根っこだった。

親から離れ環境が変わったにも関わらず、私は必要なくなった習慣をずっと握りしめ、皮肉なことにそれが自分自身を苦しめることになっていた。

そのスキルはすきあらば未だに両親や会社や知人に利用されていたことにやっと気づいた。
いや、本当は私自身が利用されることを望んでいたことを相手は無意識に感じ取ったのだろう。
そんな両親は未だに家族間で揉め事や葛藤が起こるたびに、私を通して相手の気持ちを伺うような存在として、また仲裁役として利用するようになっていたとハッキリと分かった。

過去に傷つけられ続けたことは私の責任ではなかった。
そして、自分以外の誰かの心の埋め合わせをすることも私の仕事ではなかった。

今は、私が私自身の心を癒し、私が私の心が欲するものを満たしてあげることはを、まさしく私自身の責任だった。
私はそれをずっと回避し続けていたようだ。

時折出てくる嵐のような怒りや泣きたい気持ちは、小さな私が「私の小さい頃に我慢し続けたこの気持ちを見てよ!」と、小さな私が私の身体を通してしきりに訴えていた。

だから今はこの古くなった心のしこりを抑えることなくすっかり吐き出させてあげたいと思う。

そして、恐怖から逃れるためではなく、自分が心から望む人生に向かって生き直したいという本音のメッセージがちらりと顔を覗かせてくれた。

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世代を越えてループする感情と行動

両親に電話した。
二人の相反する反応にそれぞれ感じるものがあった。

開口一番、怒鳴り支配的な父親。
いつものことだが、それはまるで壊れた機械のように怒鳴り声が止まない。
私は五分と経たず、すぐにその場を離れた。
「二度と連絡してくるな!」という罵声をよそにその電話を切った。

次は弱気の母。
電話口で泣き始める。
それは父親のあの罵声や脅迫に屈し続けるしかない、そんな自分は弱い存在だと信じている姿だった。

今までは二人が不仲であることに、子供として心痛めその場をどうにかしようと思うだけだったが、その一方であぁ、だからこの二人は引き寄せられたのかと、初めて客観的に見れたような気がする。

そして思った。
いつも父は母につらく当たり続け、怒鳴り続け、否定し続け自分が優位に立っていると思い込み、それを母は受け入れ続け、自尊心や自信を失い続けた。
そしてその矛先は、幼少期の弱い私たちにも同じように向けられていた。
そうやってずっと否定のエネルギー交換をし続けていたのではないだろうか。

この世代を越えてループされるこの感情と行動から抜け出すにはどうすればよいのだろう…。

答えはとても簡単だった。

それは、家族という言葉に縛られた不健全なゲームから離れ、安全なゲームに目を向けて生きることだろう。

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光を当て続ける

怒り狂い、感情を激しく揺さぶってくる小さな私。
今までの鬱憤を晴らすかのようにただずっと怒り続けている。

「今さら何言ってるの?もう遅いよ。」
「今までずっと無視してたくせに。」
「今まで何にもしてくれなかったくせに。」
「ずっとずっと理解しようとしなかったくせに。」
「ずっと他の人にばっかり関心持ってたくせに!」

何十年もの鬱積したものは、なかなか洗い流せるものでもないようで、私自身も今一体どうしたらよいものだろうかと途方に暮れる。

ただ、ハッキリと分かるのは、今は時間をかけてでも心の叫びに寄り添い、丁寧に耳を傾け続ける。

それが心に光を当て続けるということであり、この過程は私自身の手でしか行うことができないのだ。