書く癒し

幼い頃に置き去りにしたままの「小さな私」を癒し、自らを育て直すための自己観察記録

「落ち着きのない感覚」から自分の中心への探検

ここ数日ふと、日常生活を過ごしていると、ひとつのことだけに集中ができず落ち着きのない感じがあることに気づいていた。

音楽を聴きながら朝ごはんを作る。
歩いていることに集中できず、音楽を聴く。
何かこうバラバラな感じがあった。
何かを食べているのに、話に夢中になる。
テレビを見ているのに、携帯電話を触る。
そんな落ち着きのなさから、不調和を起こしているような感じがあった。
誰かが話をしているのに、心では何か別のことを考えている私。

少し、このことについてワークをしてみたいと思った。

ーこの「落ち着きのない感じ、ソワソワする感じ」の奥に、大切なものがあるとしたら何ですか?
『不安な気持ち』です。

ーその不安な気持ちは、本当に望んでいることですか?
いいえ、不安という「形」ではなさそうです。

ーでは、その不安を使って、その中にある本当に大切な要素はなんだと思いますか?
『私のことを否定するのではないかという恐れ』です。

ー『私が否定される恐れ』ですね。
はい、そうです。それに覆われて不安を感じているようです。

ーそうですか。では、さらに続けますね。
はい。

ーその否定される恐れの奥にさらに大切にしているものが隠れているとしたら…それはなんでしょうか?
『私が私の存在をまるごと肯定してあげたい』という想いです。
他の人からの肯定を待つのではなく、『私が私を肯定してあげ、安心させる眼差し』です。

ーなるほど。では、その私が私をまるごと肯定してあげたいと言う想いはあなた自身が本当にそうしてあげたいと思うことでしょうか?
はい、その通りです。

ーはい、分かりました。では次に行きましょう。
はい。

ー私が私の存在をまるごと肯定してあげたいという中でも、特に大切なことがあれば教えて下さい。
他者や外側から得る承認ではないのです。
『私の内側から溢れてくる私への承認』という要素です。

ーでは、今はその内側から溢れてくる私への承認が足りないと感じているとも言えますか?
はい、そうですね。
まだその方法をうまく掴めていないのだと思います。

ーそれはなぜだと思いますか?
まず、やっと自分の中にもう一人の自分がいる、その存在を実感しました。
なぜなら、今までそのように生きている大人と接する接触する機会がとても少なかったからだと思っています。
接したことのないことをするのは、概念すらないので、それを今、まだ模索しているのだと思います。

ーなるほど、そんな経緯があったのですね。
はい、やはり慣れるまでは少し時間がかかりそうです。

ーでは、今の時点で思いつく限りでいいのですが、落ち着きのない感じがなくなる時はありますか。
はい、公園を散歩したり、運動している時。
お花の写真を撮っている時。
マッサージをしている時。
お皿を洗っている時や掃除機をかけている時。
足湯をしている時や温泉に浸かっている時。
誘導瞑想をしている時。
インナーチャイルドワークの記録をつけたり、こうしてブログを書いている時。
クラシックコンサートやライブ鑑賞の時。

この時は体にだけ集中し、頭が空っぽになる感じがあります。

ーでは、少しずつ増やしてきているのですね。
はい、そうです。

ーでは、さきほどのワークの続きに入ります。
はい、大丈夫です。

ー内側から溢れてくる自分から自分への存在への承認。
その気持ちの奥にさらに大切な要素があるとしたら、それはなんでしょうか?
『今、ここの感覚に留まる力』だと思います。

ーその『今、ここの感覚に留まる力』は本当に望んでいることですか?
はい、そうです。

ー分かりました。では、『今、ここの感覚に留まる力』の中でも特に大切なことがあるとしたらそれはなんなのでしょうか?
今ここで『私がなにを感じているのかに完全に集中し、行動していること』だと思います。
他の人が何を感じるかな?どう思うかな?というものが全く介在されていなく、純粋な自分の感覚にだけ目を向けている状態のことです。

ーでは、その自分の感覚にだけ目を向けている状態の奥にもっと大切なものがしまわれているとしたらそれはなんでしょうか?
『私自身への見守る愛』です。
お母さんが子供を見守るような…そんな愛です。
私には残念ながら、親の方が子供で、そんな体験を受けたことが全くありませんでした…。
それが本当に欲しかったものだと思うのです。
それが自分への絶対的な肯定につながっていたのだと想像するのです。

ーそうでしたか。辛かったですね。
はい、私を含め、子供はみんなそれを求めていたのだと思います。
しかし、そんな時には親はいつもいなかった。
そんな眼差しは皆無だったのです。
そのことにすらずっと気づかずに育った私にとって、それがなんなのか分からないまに生きてきました。
とても大切な感覚を記憶喪失になってしまったまま生きていたような…。
それが、漠然とした不安や、落ち着きのなさで私に知らせていたのかもしれません…。

ーそう思うと、この不安や落ち着きのなさについてどう感じていますか?
心からありがとうって言いたいです。
あと、ずっと鈍感で気づかなくてごめんねとも言いたいです。
シグナルを送ってくれていたことに感謝します。

ーそうですね。
はい。

ーでは、どうしましょうか?もう少し続けてみますか?
はい、お願いします。

ー分かりました。『私自身を母親の目線で見守る愛』この感覚の中でも特に大切な要素があれば教えてください。
『私は絶対に大丈夫だ』という揺るぎない自信です。
具体的にしてもらいたいことがあります。
自分や愛する人へ肯定的な言葉をかける。
愛する人とハグをしたりスキンシップをする。
生きててよかったと思えるような喜ばしい体験を増やす。
例えば、とても美味しいものを食べる。
お風呂にゆっくりと入る。
自然の中で過ごす時間を自分のために取る。
自分の喜びのための学習に時間とお金を使う。
ゆったりとした時間を過ごす。
その時に感じたままに表現してみる。
また、同時に嫌だなという感覚に対して、素直にその場から離れることも大切だと思います。
なんでも受け入れる必要はないのですから。
そんな毎日の五感の喜びの感覚の積み重ねによって、育まれていくものだと思っています。

ーそうですね、具体的にありがとうございます。
はい。

ーでは、『私は絶対に大丈夫だ』この感覚は本当に望んでいることですか?
はい、私が最も望んでいる在り方です。

ー分かりました。では、その『私は絶対に大丈夫』という中でも、特に大切にしたい要素は他にまだ何かありますか。
はい。何をしているとか、利用価値があるという条件がついた私だけでなく、私がただ存在している。それだけで、素晴らしいのだという実感を得たいと思っています。

ー分かりました。『ただ存在しているだけで素晴らしいという実感ですね』
はい、そうです。

ーでは、その実感を得るためにはどんなことをすればいいと思いますか?何かアイディアはありそうですか?
温かい体験を共有するということだと思います。
本当は望んでもいないのに、誰とでも仲良くなろうとか好かれようとするというような努力を手放し、私が望む人たちを私が選ぶことを許し、温かい関係を結んでいくことです。
その人たちとの時間を過ごすことです。

ーなるほど。誰とでも仲良くするのをやめるというのもとても大切なことかもしれませんね。
はい、それをやろうとしたり曖昧にしたままですと、時間と空間全て消耗されてしまって私の人生を生きることができなくなってしまいます。
とにかく私の時間と空間を全て"I want"で埋め尽くし、私のための喜びの花を咲かせたいのです。

ーすべての時間と空間を"I want"で埋め尽くす喜びの奥にもっと大切なものは?
喜びの花で溢れれば、望む人たちとも分かち合い、互いに喜ばせ合うことができて、『私の心の居場所』ができます。『私だけの心の基地』ですね。

ーそれは素敵なことですね。
はい、そうです。
それは本当にこれからしていきたいことです。

ー『私の心の居場所・基地』の中でも大切なことはなんですか?
このぐらいですね。
これが私の核に近いものだと思います。

ー色々聞かせてもらってありがとうございました。
私も楽しかったですし、癒されました。
ありがとうございます!

★ワーク後の感想
「落ち着きのない感じ」から色んな探検が広がってとても充実していた。
このワーク中は、完全に自分に集中している自分にも気づいた。
ワークを通して、自分の核に近づけば近づいていくほど、自分という最も近くで気づきにくい自分という存在や自分の隠れていたニーズに改めて触れていくような、そんな気持ちになった。
また、自分のニーズが明らかになればなるほど、同時に自分にとって落ち着きがなくなること=外側に意識を向けやすい環境や人間関係からは離れることも決め、時にノーを言い意思表示することもとても大切に思った。

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まずは求めよ、さらば与えられん

先月の誕生日にとっても素敵なワイングラスがあったのでそれを手に入れた。

すると不思議なことだが、このワイングラスをきっかけに今までほとんど飲むことのなかったワインをたしなむ機会が増えた。
ワインもそれぞれ気に入った味を試しながら、お気に入りを見つけた。

その行動で気づいたことがあった。
「お気に入りのワイングラスを買う」という行動が、さらにお気に入りのワインを我が家に迎える準備をしたことでもあり、そしてそれが実際にやってきて、私たちの生活をより豊かにしてくれているようだった。

そして同時に過去のことを思った。
過去は子供として「求められて生きる」「与えられて生きる」ということも経験したことがあるが、今の私にとって「与えられて生きる」ことは、この上なく不愉快な感覚に陥っていた。

どういうことかと言えば、たとえば、私がオーストラリアに引越ししたばかりの時、旦那の両親の自宅で使っていなかったとても古びた食器を旦那が持ってきた時に感じた「不快感」だ。

私はその「古びた食器」を通して、「外側から無理やり与えられただけの、私にとっては何の感情もないただの無機質で無感情な物質」を感じていた。
その「感情を伴わない物質」とともにいるというだけで、突然耐えられないような感覚に襲われ、それは怒りさえ覚えているようだった。
そして私はすぐにその物質を捨ててしまった。
その出来事を通して今の私にとって「与えられて生きる」ことの感覚が何なのかを明らかにできたように思う。

それはたまに帰国した時に両親から無理やり欲しくもない食事に連れていかれ、感謝しろと言わんばかりの顔をしながらうまいだろ?と脅迫的に言わせる父親の顔が思い浮かんできた。

もちろん、親という仮面を被った相手にとってはよかれと思ってしたことなのかもしれない。
そしてもし私もまた、子供の仮面を被っていたのであればお互いに喜ばしい結果だったのかもしれない。
或いは「使わなかったら、くれた人に悪い」からという発想から、嫌々使っていたのかもしれない。

しかし私はもうすでに子供という仮面をすっかり脱ぎ捨てていて、また同時に、外の人の喜びのために行動することもやめ、すでに自分自身の喜びの道を創り進んでいることに知った。

今の私にとって求めるもの。
そこにはもうあらゆる仮面は存在せず、素顔の私だけが立っているようだった。

その素顔の私は、本当に心から求めるものが何なのかをすでに感覚を使って探し始めていて、それを自らの手で掴み取り、そして自らの手で経験した喜びの感覚を噛み締めている様子だった。
私はその私自身の経験と感覚の過程をひとつひとつ求めていて、それを今すでに実践しているのだなぁと思った。
「充足感の道」
ふと、そんな言葉がやってきた。

それはつまり、外から私が欲しいものを与えられることを求めたり待つという世界から、私の内側で感じることをしっかりと探り当て、そしてその羅針盤に従って行動し、そしてそれは間違いなく私の手によって、何でも手に入るという素晴らしい体験の世界の道だった。

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【8/15】小さな私と今の私との対話記録

ー今日は何か癒してみたい感情があれば教えて下さい。
「喪失感」です。

ーその「喪失感」は体で言うとどこにあると感じますか?
胸のあたりがぽっかりと空洞になっている感じがします。

ー胸のどの位置かは分かりますか。
はい、心臓に近い場所で、そこに埋め込んでたものが空っぽになっているような感覚です。

ー他にもどこか感じるところはありそうですか?
両目です。喪失感による悲しみで涙が止まらないようです。
胸の空洞と連動している感じです。

ー色のイメージはありそうですか?
インディゴブルーです。
深い悲しみのイメージがあります。
あの、その空洞のもっと奥を覗いてみると、真っ黒なブラックホールが見えて来ます。
そこに「私には何の価値もない人間」「私には力がない」と言った感情が横たわっているようです。
それはとても真っ暗です。

ーどちらの感情を扱ってみたいですか?
奥の方です。

ー分かりました。では続けましょう。その形はブラックホールだと言ってましたが、穴があるということですか?
はい、そうです。

ー何か触感として感じるものはありますか?
この感情に巻き込まれて、吸い込まれてしまいそうです。
そこに吸い込まれたら二度と戻ってこれなくなりそうです。

ーそれは何を表していますか?
死です。

ーそのブラックホールに表情はありそうですか?
苦しみ。苦悩。葛藤しているような。
本当はそのことがすごく嫌だったのに受け入れるしかなかった自分の無力さや情けなさや悔しさ。
じっと見ていると色んな感情が入り混じった表情を感じます。

ー分かりました。では、そのブラックホールの温度はどんな感じがしますか?
とても冷たいです。
吸い込まれればすぐに凍死してしまいそうです。

ー匂いはありそうですか?
いいえ。無機質な感じで何もありません。

ーこの子とお話しできそうですか?
はい、きっと大丈夫です。

ーあなたはそこで何をしているのですか?
死んでいるかのように振舞っているのです。
私にはお金を稼ぐ能力もなければ、親を助ける能力もない。
だから生きている価値なんてないと思って、死んだように生きて来ました。
人の邪魔にならないよう、死んだように振舞って生きているのです。

ーその死んだように振る舞うことで、何をしたかったのでしょう?
私がいない、私は透明人間のようにいてもいなくてもいい存在であり続けました。

ーそうすることで、何を達成したかったのですか?
親に迷惑をかけない。
あの時、兄弟が四人いたけれど、そう自分の存在を消すことで負担を減らしたかった。
そうすることで、家庭内で喧嘩もなく、平和になればと思っていました。

ー今のこの子の様子に何か変化はありそうですか?
この子の存在に目を向けて関心を持って話しているので、ちょっと驚いている感じがします。
どうやら今までずっとこの子の方を見てくれる人なんて誰もいなかったようですね。

ーでは、家庭内が完全に喧嘩もなくて、仲良く平和に暮らせたとしたらどうしたいですか?
私は私として感じたいことを感じるままに自由に表現して生きていたいです。

ーではさらに感じるまま自由に表現して生きることを通して、何をしたいと思ってますか?
私の感覚、五感を通して体験したいことを体験して、誰と比較することなく、自分の感性を磨いてそれを信頼したいと思っています。

ー自分の感性を磨いて信頼できるようになったら、次にどんなことをしたくなるの?
もうその時は何かをしたいんじゃないの。
その在り方に留まっていたいの。
その私に留まって、私の感覚を楽しんでいたい。

ーその自分の感覚を十分に楽しんで味わっていたあなたは、本当は次にどうしたいと思いますか?
もうその時には「何かを達成する」ということはなくなっているんだと思います。
そこに佇み、今を楽しんで生きているだけ。
それだけです。
その日、その時、その状況によって、私の最もしたいことやお気に入りを選び、体験して、感じて、表現している。
そうやって生きているんだと思います。

ー今は胸の空洞の感じは何か変化していますか?
ブラックホールはなんだか収縮して消えました。
また、それによって胸の空洞が少しずつですが、光や温かさで満ちて来ているようです。

★ワーク後の感想
最近は始めに出したキーワードに対して感情が響いているのかについて注目しながらワークをしていた。
今回の「喪失感」という言葉に対してじっと味わっていると、涙が込み上げてくる感じを確かめた後、このワークを進めることで、より効果的に感じた。

今日は「喪失感」と胸の空っぽのさらに奥にあったブラックホールの存在に気づくことができた。
そこには親から受けた「お金の稼がない者は価値がない」という価値観が存在していて、またそれに紐付けした学生の頃の私はお金を生まない存在として「私は無力な人間なのだ」という自己評価があり、それが私自身をずっと苦しめていたことを掴めたようだった。
その思いが、今、仕事をしていない自分を強烈に否定したり、いじめたりしていたようだった。

しかし、その無力さや、無価値観と共に寄り添っていることによって、それは私のものではやかったのだと気づくと同時に、そのブラックホールがどんどんと消滅し、また、それによって感じていた虚しさ、自分への喪失感が新たな温かさで満ちていく感じがあった。

また、ワークをどんどんと進めていくうちに、何を達成したいという"Doing"ではなく、在り方"Being"にシフトしようとしているイメージが見えた。

それが本当の意味での自己肯定であり、今を生きているということなのかもしれない。

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「分からない私」を分かろうとする目線

「それを分からない私」

幼稚園の時、思い切りみんなの前で答えを間違えて恥ずかしい思いをした場面をふと思い出した。

ずっと、そんな自分を恥ずかしく思ったり、バカだと思ったり、否定したりしていた。
そして必死で取り繕ってみたり、言葉や知識で武装したり、分かっているフリをしてみたり…。

でも、そんなことをしたって分からなかった私はいつまでもそこに残ったまま、置き去りのままだった。

「ねぇ?分からないことはいけないこと?」
そう、小さな私へそう問いかけてみた。

すると「そもそもそのことについて私は別に分かりたいとは思ってないんだよ」
「今の私にとって分かる必要もないことだよ」
「だって、情報や知識の集まりは私にとってどうでもいいことだよ。だって、私にとっては体験を通した感覚が大切なんだから」
「外側にあれこれ見えているものを分かろうとすることは雲をつかむようなことでまるで意味がない。そうじゃなくて、その体験をしている時に私の内側で起こっていることをよく見つめて、何を感じているのかを訊いていけば、外側のことは問題ではなくなるんだよ。」

あぁ、そうだった。
今までは、「外が世界すべて」だと思っていたから、頑張って外に合わせて取り繕っていたんだ。
でも、本当は違っていた。
私の内側が世界の全てだった。

すると今、私の内側で起こっている「分からない私」について分かろうとしている今は、なんだか心の底からホッとしてきて、緊張がほどけるような感じがした。

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【8/9】小さな私と今の私との対話記録

ー今日は何か気になる、癒したい感情があれば教えてください。
「不安」です。

ー不安ですね。
はい、そうです。

ーでは、この不安という感覚は体で言うとどこにあると思いますか?
胸のあたりです。

ー胸の位置ですが、前の方ですか、後ろの方ですか?
胸の前のあたりにタバコの煙のようなものがもやもや、うろうろしているような感じです。

ー色は煙なので灰色ですかね?
はい、そうです。陰気臭い暗い灰色がまとわりついている感じ。

ーどんな感覚がありますか?
なんだか、タバコの煙が蔓延しているようで、臭いが消えないし、鬱陶しい感じです。
あとは煙なので、するりと抜けてしまって、追い出すこともできなくていやーな感じです。

ーその煙に表情があるとしたら?
なんだかずる賢い人、意地悪な人に見えます。
何かをたくらんでいるような感じです。

ー温度はどんな感じですか?
湿っぽい。じっとりとまとわりつくような感じです。

ー今はこの子とお話しできそうですか?
はい、大丈夫です。

ーあなたの役割はなんですか?教えてくれますか?
外から来る理不尽な要求や、一方的な要求、人をコントロールしようとする軋轢、私を尊重しない人間から守るためにこのいやーな感じでお知らせして守っているんだよ。

ーそうですか。ではこうやって守ることで本当は何をしたかったのか教えてくれますか?
私の領土をきちんと確保しています。
私の時間。
私の選択。
私の空間。
それを健全に保つために私は存在しています。

ーそうでしたか、私の領土を守るために頑張ってくれていたのですね。ありがとうございます。
(その子の今の表情は?)
存在を認めてもらって、誇らしく感じているようです。

ーでは、完全に私の領土を確保して守れたとしたら、その時はどんなことをしたいですか?
私の好きな花を植えて、丁寧に育てる。
私の好きな食べ物を植えて、丁寧に育て、いただく。
私のお気に入りの人をここに迎えて、ゆっくりとその人と語らう。
私の大好きなものを揃えて、ゆっくりくつろぐ。
私の大好きなことをするための空間を創り、大切にビジネスとしても育てます。
私の好奇心によるものに共感する人たちと温かく、新鮮な刺激を与え合う関係を創ります。
私の私による私のための居場所を作りたい。

ーとても素敵ですね。では、これらの居場所を十分に作ったとしたら次にどんなことをしたいのでしょうか?
幼い頃に傷つき、癒したいという人たちとこの空間を分かち合いたいです。
お互いが平等で対等でハッピーになる空間を作る。
そして、自分の存在を丸ごと愛せる空間と体験をこの傷ついた人たちの手で創る。
この空間から傷を癒しながら、自己肯定感を育み、持ち帰ってもらいたい。
そんな風に思います。

★ワーク後の感想
喜怒哀楽の他にも存在しているさまざまな感覚。
それらにも繊細なアンテナを立て、気づき、言葉で表現することを通して私が大切にしていることをより明確にしたい。
このワークはとてもシンプルで時に単調に感じるかもしれない。
しかし、継続するごとに自分をより深く知ることができるような感じがある。

また、今回のワークを通して、親に愛されなかった人たちの手で創り出す、自分自身を愛する空間。
そんな互いにとってのありのままに戻れる「ホーム」を共同作業で創り、分かち合えたら素敵だなぁと改めて思った。

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渇望する心、欠けてる無意識の感情に目を向ける

私はどこかずっと、自分に与え切れてなかったものに対して「何か欠けている」という自覚なき渇望に気づかぬまま、新しい情報や何かを外に追い求め続け、毎日を忙しなく過ごしていたように思う。

そして日常の何気ない一コマでの出来事をきっかけに、その欠けてた感情が別の形になって姿を現し、ギョッとすることがある。
あまりにもそのショックが大きいと、その出来事に居合わせた人を非難したり否定することで、その場の感情をどうにか見ないふりをしてやり過ごすように思う。

しかしそんな「感情を揺さぶる出来事」には、私に与え切れていなかった「何か」を発見する手がかりがあるのではなかろうか。
そんな風に思うようになった。

何かが欠けてる。
何かが足りない。
でも、それが何だか分からない…。

そんな堂々巡りの毎日。
そろそろそんな毎日から抜け出したい。
そう思っていた。

例えばこんな風に。

私は一方的に自分の話ばかりをし、無理やり相手を聞き役に回すような人がすごく嫌いだ。
そんな人と会話をしていると(いや、私の中ではそれはもはや会話ではなく、私を感情のゴミ箱扱いをする人と呼びたい)私は段々と機嫌が悪くなってしまう。
それをよく観察してみる…。
すると、その相手の「一方的に自分のことばかりを話す」という態度によって、私に十分に与えられていなかった「何か」をさらに奪われ、刺激されるように思うのだった。

ーそれは一体なんだろう…?
それは、我慢に我慢を重ね続けていたこんな想いたちだった。


「私の考えも尊重してほしい」
「私の話もきちんと聞いてほしい」
「私のことも関心を持ってほしい」
「私のことも平等に大切に扱ってほしい」
「私の意見も無視せずに尊重してほしい」
「私の気持ちもしっかりと見てほしい」


この想いを並べてじっくりと眺めてみると、どれも小さな頃の私が欲しくても与えられることすら許されなかったことばかりだった。

欲しくても与えられなかったものが渇望感だと呼ぶならば、その渇望感に突き動かされ、怒りを使い、私の心をこれでもかと揺るがしていたように見えてきた。

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「理解してもらいたい人」が存在するのではなく…

どうも私たちは目の前にいる人へ、つい期待を寄せてしまうようだ。

目の前にいる親。
目の前にいる先生。
目の前にいる友人。
目の前にいる同僚。
目の前にいる上司。
目の前にいる旦那…。

そしてひとつ理解してくれた、肯定してくれたと思えば、その人を「良い人」と決め、いずれそれは当たり前と変し、そして相手への期待をより大きく膨らませ続ける。
そうやってだんだんと相手への要求が高く、そしてより厳しくなり、そしてたったひとつ理解されなければ、大きな期待はあっけなく腰を折られ、裏切られたとばかりに時に相手を非難したり恨んだりもする。

しかしふと思った。

私は本当にこの「目の前の人に」理解してもらいたがっているのだろうか…?

いや、ちょっと違うのかもしれない。
ふと別のことが思い浮かんだ。

実のところ、外の人から肯定の言葉をもらうということを通して、「自分を肯定する」という目的を達成したがっていただけなのではないだろうか…?

つまり「外側からでしか自分の肯定ができない」。
そう私が思い込んでいただけではないのだろうか?

そう思うと、理解してもらいたい人が存在しているのではなく、「己の中にある自信のなさ」がフォーカスされ、スーッとそれが浮かび上がってきた。

私はずっとそれを見ないフリをしたまま、外側の人を掴まえ続け、かろうじて埋め合わせし続けていたのかもしれない…。

では私が本当に得たいものは…?

「内なる自信」

それは自分の五感や感じたことを信じること。
感じるには行動し経験すること。

私の中にそんな経験と感動がしっかりと育まれるにつれて、外側の「理解してもらいたい人たち」はスーッと消えてなくなるような気がしてきた。

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